プロテストの後に会場で撮った、ジムの会長とのツーショット。僕の憧れている作家・沢木耕太郎さんが『一瞬の夏』(新潮文庫/上下巻 各税抜き630円)という著作で、会長の半生をつづっています。会長をはじめたくさんの人の支えのおかげで、このテストに合格することができました。
父親への反発から、野球に懸けた青春時代
僕は、家族のことがあまり好きではありませんでした。実家は病院をやっていて、僕が小学校に入学して間もなく父が開業しました。父は僕に跡を継がせるつもりでしたが、敷かれたレールの上を歩むことが厳然として決められているというのがとても嫌だったんです。同じ場所で、同じことをして、同じことを言ってる父のことを了見が狭いなぁと思って、あのころはまったく尊敬することができず、ただただ反発するばかりでした。
小学4年のときに、一つの転機が訪れました。仲の良かった友達の誘いで、野球のクラブチームに入ったんです。それからの僕の生活は野球を中心に回るように。とにかく楽しくて、初めて「プロ野球選手になりたい」という具体的な夢を持ったんです。練習以外でも、つらいことやムカつくようなことがあると「すべてはプロ野球選手になるための試練だ」と思って、耐えることができました。夢というよりも、心のよりどころに近かったのかもしれません。だから、5年生になって中学受験のために塾に通うようになり、野球があまりできなくなっても我慢できました。「中学受験に成功したら、その後は塾に行かなくていい」と両親に言われていたからです。中学受験は父の意向でしたが、僕は「この先プロを目指して思いっきり野球をやるためだ」と自分に言い聞かせ、受験勉強に励みました。
受験は無事に合格し、僕は広島にある中高一貫校に通うようになりました。山口にある実家からは通学しにくいので、僕だけ祖母の家に引っ越すことに。地元を離れることに不安はありましたが「ここで野球を極めて、プロになるんだ!」と意気込んで、入学後からは野球に没頭していました。友達と遊ぶこともほとんどなく、暇さえあれば一人でバットを振っていて、文字通りすべての時間を野球のために費やしていましたね。ただ、通っていた中学は進学校なのでそこまで強豪というわけではなく、「ここでレギュラーを取って試合で結果を出していても、プロのレベルにはほど遠いんじゃないか」ということは、薄々感じていたんです。その現実を直視するのが怖くて、必死にもがいていたようにも思います。
「プロにはなれない」と完全に悟ってしまったのは、高校1年の秋のことです。高校で初めて試合に出てヒットを打ったときに、めちゃくちゃうれしかったんですよ。そこで、ハッとしたんです。ほかの同級生にはもっと活躍しているヤツもいるのに、自分はヒットを1本打った程度で、なんでこんなに喜んでいるんだろうって。その瞬間、プツンと糸が切れるような感じがしたのを、今でもよく覚えています。「ああ、自分はプロにはなれないな」と、自分で確信を持ってしまったんです。それからは「プロになる」という目標を「チームで甲子園に出る」という内容にすり替えて、なんとか心を保っていました。
高校3年の夏、部活を引退して僕はいよいよ真っ白になってしまいました。大げさかもしれませんが、「生きる意味」がなくなってしまったように感じていて。野球以外での将来のことを、それまで考えていなかったんです。とりあえず、大学には行こうと思いました。理由は2つあります。1つは「野球に代わるような、自分のよりどころを見つけるため」。もう1つは「広い視野で物事を見て、考えられるようになるため」です。どうせなら早稲田大学や慶應義塾大学のような有名大学に入りたいと思ったのですが、中学に入学して以来勉強にはまったく力を入れていなかったため、1年目はどの大学も受からず…。浪人して2年目、現在通っている横浜市立大学になんとか合格して、晴れて大学生になることが決まりました。
観客に「見にきてよかった」と言ってもらえる試合を目指したい
大学に入学してから始めようと決めていたことが1つあります。それが、ボクシングです。高校3年の受験期のころから考えていて、浪人中には我流でトレーニングもしていました。「なんでボクシングだったのか」と聞かれると、言葉にしにくいのですが…男の代名詞って感じがしたんですよね。自分の力で戦って、勝ちをひとり占めできるように感じたんです。野球はチームスポーツなので、結果は自分だけでなく仲間のプレーにも左右されます。だから、もっとシンプルに自分が「よかった」とか「ダメだった」ということを感じられる競技をやりたい、という願望もありました。ただ、一番の理由は「パンチを繰り出したり、避けたりする姿が美しいと思ったから」なんですよ。本当に直感的に、こんなふうに動いてみたいって。
現在所属しているボクシングジムに通い始めたのは、大学2年の夏ごろからです。憧れの作家である沢木耕太郎さんと縁のあるジムを見つけて、「ここしかない!」と思ったんですよ。沢木さんは浪人時代に『深夜特急』(新潮文庫/1~6巻、税抜き430~490円)という本を読んで、それ以来ずっと好きだった作家なんです。この本に出合ったのをきっかけに、僕はインドに旅行に行ったり、半年ほどフィリピンに留学したりと、大きな影響を受けました。そんな自分の価値観を広げてくれた作家が、このジムの会長の評伝を書いていたんです。「あんなに審美眼のある作家がほれこんだ人にボクシングを教わったら、きっとデカい男になれる」と信じて、門をたたきました。
ジムにはあっさり入会することができました。「入るためのテストとかあるのかな…」と不安もあったんですが、入会金を払うだけで済みました(笑)。入ってみると思った以上にエクササイズ感覚でやっている中年の人たちが多く、「やるからにはプロを目指す」という緊張感を持って来た自分はなんだか拍子抜けしてしまい…。そんなこともあって、最初はなかなかトレーニングに熱が入らなかったのですが、大学3年になってからまずはアマチュアで試合ができるようになって、徐々にボクシングに入れこむようになっていきました。
初めての試合は…とにかく減量が大変でしたね。試合中に相手の攻撃を食らったことよりも、減量のキツさの方が印象に残っています(笑)。そしてこの初試合で、初めてのダウンを経験しました。一瞬視界が真っ白になって、倒れたときは足が滑っただけかと思ったんですが、立とうとしたら足が言うことを聞かなくなっていて。そこで「あ、ちゃんとダウンを取られたんだ」と気づいたんです。初戦の結果は完敗でしたが、実戦を経験したことでモチベーションはぐっと上がりました。
プロのライセンスを取得したのは、2013年の11月。試合形式の試験をパスして念願のプロ入りを果たし、真っ先に感じたのは「ひとりじゃない」ということでした。「勝利も敗北も全部ひとり占めできる」という思いで始めたボクシングでしたが、リング上に一人で立つには、練習相手やトレーナー、会長の助力と指導が必要不可欠なんです。これまでの道のりを思い出して「個人競技こそ、普段から周りの協力がないと成り立たないんだ」と痛感しました。
2014年の4月からは、プロボクサーとともに社会人としてのキャリアもスタートします。一般的にはあまり知られていないようですが、プロボクサーって普段はほかの仕事をしている人が多いんですよ。ボクシングだけで生活をしている人はほとんどいません。僕もプロボクサーを目指したときから就職をするつもりでした。就職活動では業界にこだわらずにいろいろな会社を受け、証券会社から内定をいただくことができました。就職活動に関してはあまり知識のない状態で臨んでいたので、受け入れていただける会社に出合えて本当によかったです。
今後の目標ですが、プロボクサーとしては「見ている人に喜んでもらえる試合をすること」と置いています。勝ちを目指すのはもちろんですが、プロとして「人からお金をもらっていること」を意識し、それ以上の価値を感じてもらえるようなパフォーマンスを1試合でも多く見せていきたいです。
企業人としては、まずは自分にできることをがむしゃらにやっていきたいと思っています。そして、将来的には自分の生まれ育った地元に貢献できるような働き方ができれば…と考えています。実は、大学1年のときに父親が亡くなったんです。僕が高校1年のときにガンが見つかって、浪人をしているころから病床に伏すようになっていました。そんな姿を見て「僕が医者になった方が…」と思ったこともありましたが、自分の選択を曲げたらこれまでの自分をすべて否定することになるような気がして、心を変えることはありませんでした。父が亡くなってから地元に帰るたびに、近所の方から「君の父親に助けられた」「優しい人だった」「お前のこと、こんなふうに話してくれたよ」と、話を聞くんです。今から医者になることはできませんが、僕も父のように地元に貢献できる人間になりたい、地元を盛り上げて少しでも母に恩返しをしたい、と切に願っています。家族は今、僕にとって本当に大切な存在です。
まだやりたいことが見つかっていない学生には、「美しいものを見ろ」と伝えたいですね。芸術でもスポーツでも、何でもいいんです。心から美しいと感じられるものに出合えたら、いろいろな行動がそこに集約されるようになって、毎日ワクワクできます。僕にとってのそれは、野球であり、ボクシングでした。たくさんのものを見て、たくさんのことを経験して、どこかで「美しい」と感じられたら、それに向かってどん欲に手を伸ばしてください。たとえ簡単には届かなくとも、心の底からひかれていれば、ちょっとやそっとじゃあきらめたりしないはずですから。
由村さんに10の質問
Q1.好きな異性のタイプは?
品と愛嬌(あいきょう)がある人。例えば、誰かの家に上がるときに人の分も靴をそろえたり、さりげない動作や仕草が上品な人に弱いです。
Q2.好きな食べ物は?
レバ刺し。ビールに合うんですよね。日本で食べられなくなってしまったのがショックで、フィリピンに留学していたころは、わざわざ現地の韓国料理店に行って食べていました(笑)。
Q3.好きな映画は?
『サマータイムマシン・ブルース』。底抜けに明るいところが大好きです。「大したことじゃなくても、仲間とやるから楽しい」ということを、全力で体現している映画だなと感じます。
Q4.好きな音楽は?
ロマン派のピアノ曲…って言っておけばモテるかなと思ってます(笑)。最近『戦場のピアニスト』という映画を見て「ピアニストってカッコいいなぁ」とあらためて思いました。
Q5.趣味は?
ボクシング、草野球、バイク。バイクは通学やジムに行くのにも使うので、ほぼ毎日乗っています。プライベートでも、大黒ふ頭や逗子までよくツーリングしますね。神奈川県の沿岸部は庭みたいなものです!
Q6.宝物は?
今まで出会った仲間。野球やボクシングやシェアハウスなど、そのとき所属したコミュニティごとにつながりができて、そこでいろんな人に出会って、いろんな価値観や刺激をもらって…周りの人たちのおかげで、今の自分があると思っています。
Q7..座右の銘は?
「義理」。これだけは忘れないように、自律と感謝は常に意識しています。
Q8.最近のマイブームは?
太陽に当たること。なんか、それだけで元気になれる気がするんですよね(笑)。プロレスにもハマっています。勝ち負けだけではない、男のカッコよさがありますよね。
Q9.タイムマシンができたら、どこに行きたい?
2050年の日本。自分がどうなっているかというよりも、日本がどんな場所になっているのかに興味があります。単純に「スゲー!」って思える国になっていてほしいですね。
Q10.今、一番会いたい人物は?
書道家の武田双雲さん。最近よくPodcastでいろいろな著名人の放送を聞いているんですが、そこで「くだらないことでも改善しようという思いを持ち、“Try & Error”を繰り返すことで日々の情景がまったく変わって見えるようになる」と話していて、激しく共感したんです。
一日のスケジュール

15:00 シェアハウスの住人と遊ぶ。「知り合いのお店からお酒をもらってきてバーを始めたり、竹を取ってきて流しそうめんをやったり…突発的にいろんなことが起きるので、ホントに楽しいです」。
取材・文/西山武志 撮影/刑部友康