2016年に公開される最新作『人魚に会える日。』の撮影風景。撮影はすべて沖縄で実施。すでに編集も終えて、現在はプロモーション活動にまい進。(ヘッドホンを着けてカメラをのぞき込んでいるのが仲村さん)
遊びで始めた映画製作。プロと一緒に作れるチャンスを逃さなかった
映画が大好きで映画ばかりを見て育った、というわけではありません。小学校3年生の時に、家にあったビデオカメラを使って、遊び半分で近所の子どもたちと映像を撮り始めたのが、映画監督へとつながる最初のきっかけです。初めは犬に追いかけられるところやイタズラをしているところを撮っていただけですが、すぐに台本を作って編集もするようになりました。毎週末、5〜10分くらいの作品を撮っていましたね。
できあがった映像は自分たちだけで見るか、家族に見せるくらいでしたが、やがて公民館を借りて上映会もするようになりました。無料ですが、募金箱は置いておく。多い時は100人くらいが見に来てくれました。募金も詳細は覚えていませんが、結構な額が集まって、それをまた次回の作品作りに使うというのを繰り返していました。とは言え、当時はただ遊んでいるという感覚。「映画を作っている」と思っていたわけではありません。
中学生になってからも映像作品作りは続けていました。ある日、沖縄の映画業界関係者から「沖縄観光ドラマコンペティションに応募してみないか?」とお声掛けいただきました。小学生のころから、沖縄県内で実施しているプロの映画撮影現場にはよく見学に行っていましたし、テレビ局や制作会社にカメラや機材などを借りたこともあって、業界関係者には少しずつ顔を覚えてもらえるようになっていたんです。
このコンペティションは、まず脚本だけを募集して、入賞作品のみプロのスタッフが付いて映像化できるというのが趣旨。映画監督になりたいと思っていたわけではないものの、一度プロの人たちと映画を作ってみたいなという気持ちはありましたので、「これはチャンス!」と思い、30分で脚本を書き上げました。そして無事入賞。その時に作ったのが『やぎの散歩』という10分くらいの短編映画です。
脚本を書いた時は、どうせプロの人たちと撮るなら自分ではできないことをしたいなと考え、そこから自分の中で出てきた答えは「そうだ、動物を使おう!」でした。演技ができる動物を使って撮影するなんて、プロならではのことだと思ったんです。実際は、やぎのプロというのはおらず、沖縄県内全域のやぎ小屋を回って、やぎオーディションをすることになるのですが…(笑)。
友達と映画を作っていた時は、ほとんど監督である自分の意見のみで撮影が進んでいったのですが、そのときのスタッフはプロ。実は、最初は、少しおとなしくしていたんです。しかし、プロと一緒に作れるチャンスなんて一生に一度しかないと思い、後悔しないよう自分の主張もしっかりと伝えていくことに。例えば、プロのカメラマンさんに「普通はこんな構図では撮らない」と反対された時に「まずは一度撮ってみてください」とお願いし、結果的に良い映像が撮れて採用になったことがあります。
この『やぎの散歩』は、その後ショートショートフィルムフェスティバルという短編映画の映画祭にノミネートされ、有名なプロの映画プロデューサーの目に留まって続編となる長編作品を作ることになりました。それが『やぎの冒険』です。こちらはコンテスト用ではなく、初めから商業用としての企画。しかし、相変わらずプロ映画監督という感覚は持っておらず、「やった! また映画が作れる!」「今度は長編だ!」という喜びしかありませんでした。もちろん大変なことはたくさんありましたが、それよりも多くの人たちに自分の作品を見てもらえるということがうれしくて仕方なかったんです。
プロデューサーは学業との両立を重視する人でしたし、自分も学校の勉強をおろそかにせずに作ることに意味があると思っていたので、平日は授業が終わってから映画の打ち合わせや取材や撮影をして、夜の10時から夜中の2時くらいまで塾でマンツーマンの指導をしてもらい、それから帰って寝て、また翌日は朝からちゃんと学校に行くという生活をしていました。親も映画作りには一度も口を出したことがないですし、支えてくれた周囲の人たちには本当に感謝しています。
この作品は県内だけでなく日本全国で上映され、さらに韓国や中国といったアジア圏を中心に世界でも反響があったため、いろいろな「声」が耳に入ってくることになりました。
「これは本当に中学生が撮ったのか?」「本当は大人が撮ったんだろ」
称賛の声の中には、こういった声も多くありました。次第に、そんな状況に耐え切れなくなり、高校に入ってからは自分から映画を撮ろうという気持ちがなくなってしまったのです。
この想いを伝えたい! そして自分にできるのは、やっぱり映画製作だった
大学に入る時は沖縄の外に飛び出そうと思い、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスにある環境情報学部を選びました。近くに海がある、というのもここを選んだ大きな理由です。
その後もやっぱり映画を作ろうという気は起きなくて、普通の大学生活を楽しめればいいかなと思っていたのですが、ある日をきっかけに大きく気持ちが変わりました。それは大学1年生の6月23日。「慰霊の日」、沖縄戦が終結した日です。この日、沖縄は祝日で学校はお休みですし、テレビでは平和特集が放送されます。この日はみんなで平和のことを考える日なんです。しかし、関東では平日で学校もあるし、みんな普通に過ごしている。そもそも「慰霊の日」であることを知らない人も多い。
関東に来てから、友人に「沖縄の基地問題のことはよくわからない」と言われたこともあったため、あらためて「そうか、こっちの人は知らないんだ」と衝撃を受けました。悲しさや怒りがあったわけではありません。ただただ、その温度差、文化の差を感じてハッとさせられたんです。
同じ国で起きたことなのに、沖縄以外の地域では実際の沖縄の状況を知らない人が多い。だったら自分でそれを伝えようと思いました。そして、伝えるための手段を考えた時、自分が持っているのはやっぱり映画しかないということがわかりました。
その日のうちに、新しい映画を作ることを決意。そしてすぐに、沖縄から関東圏に出てきた同級生に連絡。みんな自分と同じように「温度差」を感じ、衝撃を受けていたようで、映画製作に協力してくれることになりました。今回は、沖縄の基地移設に関係するテーマを扱っていますが、単純な「賛成か、反対か」ということを伝えたいわけではありません。沖縄の若者にとっては、身近に基地があるのが当たり前。いろんなことを考えているが、単純に結論を出せるものでもない。だから、今回の映画『人魚に会える日。』では、今の沖縄のありのままの姿を突きつけたいと思っています。そして、みんなで一緒に悩もうと。そのためには、沖縄出身の大学生だけで映画を作ることに意味があると思ったのです。
すでに撮影も編集も終えて、今は試行錯誤しながらプロモーション活動を進めているところです。基地問題というデリケートなテーマを扱うため、企業のスポンサーをつけることは難しく、クラウドファンディング(※)による資金集めもしました。ポスターもチケットも自分たちで作っていますし、営業としてのあいさつ回りも、劇場との交渉もしています。こういった「監督として」ではない活動をする中で、自分の知らないことや楽しいことが、まだまだたくさんあるということが見えてきました。ですから、映画監督ということに固執することなく、これからもアンテナを張り巡らせていろいろな楽しみを見つけられたらいいかなと思っています。
※製品や作品を作りたいイノベーターやクリエーターが、インターネットを通じでアイデアを公開、アピールし、それを見た人々に資金を提供してもらうという仕組。
仲村さんに10の質問
Q1.映画以外の趣味は?
音楽です。特にレゲエが好きで、大学に入学した直後にジャマイカに旅行してきました。
Q2.好きな異性のタイプは?
自分のやることを、隣で応援してくれる人です。
Q3.宝物は?
友達と撮った数分の作品も含めて、これまでの映画製作に関するすべての経験です。
Q4.好きな言葉は?
「ドント・ウォーリー・ビー・ハッピー♪」。
昔から口癖のように言っています。この言葉があったからこそ、今回の作品も最後までやり遂げることができたと思っています。
Q5.息抜きの方法は?
海に行くことです。シナリオを書いていて煮詰まったときも、嫌なことがあったときも、海を眺めに行きます。
Q6.最近始めたことは?
これまでほかの監督の作品はあまり見てこなかったのですが、最近は、毎週1本映画を見るようにしています。
Q7.自分の性格の特徴は?
負けず嫌いで、意志を貫くところでしょうか。学校の規則なんかでも、納得しないまま、ただ受け入れるのは難しいですね(笑)。
Q8.お勧めの沖縄料理は?
食べ物ではなく飲み物ですが、「ルートビア」がお勧めです! ビアと付いていますがノンアルコールの炭酸飲料です。どこかで飲んだことのあるような薬草風味でクセのある味。映画の撮影現場でも、何度か差し入れしていただいたことがあります。
Q9.自己管理として欠かさずにやっていることは?
2日に1回は部屋の掃除をしています。自分の周りはきれいにしていたいですし、掃除をすると頭の中がリセットされてスッキリするんです。
Q10.人生で一度はやってみたいことは?
野生のジュゴンに会ってみたいです。そして、それを自分で撮影したいですね。
一日のスケジュール

取材・文/芳野真弥 撮影/鈴木慶子