2014年3月にトルコで行われた、世界ジュニアショートトラックスピードスケート選手権大会の表彰後の写真(左から2番目が渡邉さん)。「当時、高校2年生が2人・3年生が2人の、高校生だけで構成されたチームでした。昔から国内試合で戦ってきたライバルでしたが、チームになるとお互いに息がピッタリ合って、最高のチームでしたね。シニアになっても、このメンバーと一緒に世界で活躍したいです」。
ショートトラックとローラースケート…どちらを取るか悩んだ中学時代
皆さんはスピードスケートの「ショートトラック」をご存じでしょうか。1周100mほどのコースを4人同時に滑り、タイムではなく順位を争う競技です。タイムで競い合うロングトラックとは違い、レース中の駆け引きが重要になってくるショートトラックは“氷上の競輪”とも呼ばれていて、見ていて白熱するスポーツだと思います。僕は今、このショートトラックスピードスケートの選手として活動しています。
スケートを始めたのは6歳の時から。ただ、最初はアイススケートではなく、陸上で行うローラースケートでした。家の近くの公園でローラースケートのクラブ活動をやっていて、父親がそこに連れていってくれたのがきっかけです。
初めてアイススケートのショートトラックの競技に触れたのは、小学校4年生の時。それも、当初はローラースケートのトレーニングの一環として取り組み始めたんです。陸上とはスピード感がまったく違うので、ドキドキしましたね。
それからしばらくは、ローラースケートとショートトラックの練習を両立させていました。ショートトラックの方はスピード感があって好きだったのですが、なかなか成績が伸びなくて思い悩んでいました。同時にローラースケートの方も、ジュニア(18歳以下)の日本代表になってアジア大会に参加するまでになっていましたが、こちらも少し限界を感じていたんです。
転機が訪れたのは、中学1年の時です。アイススケートの方のクラブチームを変えたことをきっかけに、現在も指導をしてもらっているコーチに出会いました。それまではコーチと呼べるような存在がいなくて、経験があった父親のアドバイスと独学で滑っていたのですが…コーチの指導を受け始めて、世界が変わりました。道具の使い方から姿勢の保ち方など、それまで気にしていなかった細かい点にまでチェックが入り、それらを修正していくと自分でも驚くほどに速くなったんです。今まで歯が立たなかった同級生にも勝てるようになって、「ショートトラックが楽しい!」と心から思えるようになりました。
このコーチとの出会いが契機となって、ローラースケートをやめてショートトラックに専念することに。ローラースケートは国内若手の競技人口が50人ほどと少なくて、大会ではいつも同じようなメンバーが競い合う状態です。それに比べてショートトラックは競技人口も多く、上位層の入れ替わりも激しいです。幼いころからずっとやっていたので「もったいないかな…」とためらいもありましたが、最終的には「まだまだ自分でも伸びしろが感じられるショートトラックの世界で、思いっきり勝負してみたい」という気持ちが勝りました。
大学に入ってから芽生えた、看板を背負う責任感
ショートトラック1本に切り替えてから順調に成績は伸びていきましたが、高校1年の時に初めて出場した世界大会で、大きな壁にぶつかりました。そこでは、自分よりもひと回り大きい体格をしている同世代の選手が、自分よりも低い姿勢で力強く滑っていたんです。フィジカルの強さだけではなく、細かい技術力や戦術など、あらゆる面でレベルの違う選手たちばかりで…。「ここで勝負できるレベルを目指していかなきゃいけない」と、練習に対する意識ががらりと変わりました。
世界大会の後から、僕は自分の滑り方を見直しました。ほかの選手と比較してトップスピードがそこまで出ない僕にとっては、先行逃げ切りでレースを引っ張り、相手にトップスピードを出させない展開に持ちこむことが重要です。そうしたレース運びができるように、先頭を引っ張る練習をしたり、常に速いペースで引っ張れる体力をつけるために陸上トレーニングを増やしたり…自分で考えて試行錯誤を繰り返しながら、練習を積み重ねていきました。
リベンジの気持ちで臨んだ翌年の世界大会では、自分の思うような滑りができて手応えがありました。結果として順位は3位でしたが、日本新記録となるタイムを出せたので、本当にうれしかったです。
立教大学には、アスリート選抜入試で入学しました。大学の授業の時間割は半期ごとに決まっていますが、スケートの練習の予定は変動するので、毎日の練習と学業との調整には苦労します。2015年6月から9月にかけては、毎月2週間ずつナショナルチームの合宿が入ったのですが、その期間は合宿を途中で抜けて授業を受けて、また合宿先に戻って…というのを繰り返していたので、体力的にも大変でしたね。
もちろん、大学に入ってよかったなと感じることもあります。今までは個人選手として「自分のために頑張る」という意識がほとんどでしたが、大学のスケート部に所属してからは「大学の看板を背負っている」という責任感が芽生えました。試合でも見知らぬ方々が応援してくれます。見える範囲でも、きっと見えない範囲でも、今まで以上に自分の選手活動を支えてくれる人が増えている実感があります。そういった人たちに対して「結果で恩返しをしていこう」と思うようになりました。
大会では年齢ごとにノービス、ジュニア、シニアというクラス分けがあって、僕は20歳となる16年から本格的にジュニアからシニアに移行します。ジュニアの大会ではそれなりに結果を残してきましたが、これからは世界で戦っているトッププレーヤーと勝負していかなければなりません。自分のレベルを上げていって、格上の選手たちと肩を並べられるような、そして勝ちきれるようなスケーティングをすることが、今後の目標です。最終的にはやっぱり、オリンピックでメダルを獲得したいです。
今まで「もっと速く滑りたい、勝ちたい」という思いが原動力となって、アイススケートを続けられています。ひとつ熱中できるものがあると、それとバランスを取って時間のやりくりをするようになるので、生活にメリハリが生まれます。学生時代には、そんな「目標を持って、自発的に取り組むこと」がひとつでも見つけられると、より充実した時間を送れるのかな…と感じます。
渡邉さんに10の質問
Q1.好きな女性のタイプは?
芯が強く、仕草や言動がおしとやかな女の子らしい人が好きです。好き嫌いは一致しなくてもいいけど、できれば価値観を共有できる相手だとうれしいですね。
Q2.好きな食べ物は?
馬刺しとホルモン。試合でいい成績が出た日は、家族で祝勝会としてよく食べに行きます。
Q3.好きな映画は?
邦画だと『告白』、『ゴールデンスランバー』、『桐島部活やめるってよ』。洋画だと『インターステラー』、『ショーシャンクの空に』などです。邦画で挙げた作品はどれも小説が原作ですが、その原作を何回も読み直すくらい好きです。
Q4.好きな音楽は?
邦楽や洋楽、クラシックなどさまざまなジャンルを聴きますが、特に椎名林檎、東京事変、ぼくのりりっくのぼうよみ、BUMP OF CHICKENが好きです。YouTubeをあさって、まだ無名のアーティストを発掘するのも好きですね。
Q5.趣味は?
読書、映画鑑賞、カラオケ、ボウリング、ダーツなど。オフの日はこのうちのどれかしらをしています。
Q6.宝物は?
家族です。毎日練習場まで送り迎えしてくれたり、遅い練習時間に合わせてご飯を作ってくれたり、本当にあらゆる面で支えてもらっています。この感謝を結果で返していきたいです。
Q7.座右の銘は?
「Do your best, and it must be first class(最善を尽くせ、しかも一流であれ)」。これは、今僕が通っている立教大学の元教授で、戦後の日本の民主的復興に大きく貢献したポール・ラッシュ氏の言葉です。この言葉をいつも心に留め、スケート競技者である以上はスケート界での一流を目指し、日々努力しています。
Q8.直近で新しくチャレンジしてみたいことは?
一人カラオケと一人焼き肉です。日本人特有のミーハー気質というか…個よりも集団を優先してしまう自分を少し変えられたらなと(笑)。
Q9.タイムマシンができたら、どこに行きたい?
6歳のころに戻って、スケートをやらない人生を歩んでみたいです。僕はこれまで、同級生が遊んでいる時間をほとんど練習に費やしてきました。なので「スケートに出合わなかった人生」だと、一体どんな道を歩んだのかな…という興味はありますね。ただ、スケートを通して人間としても成長できているのを感じますし、充足感も得られています。決して「スケートをやらなきゃよかった…」と思っているわけではありません(笑)。
Q10.今、一番会いたい人物は?
2015年に亡くなってしまった、ジュニアのナショナルチームの元監督です。小学生のころからいろいろと面倒を見てもらっていて、その監督が帯同してくださった海外遠征はすべてメダルを獲得していました。結果が出ると選手以上に喜んで、すごく褒めてくださったことを鮮明に覚えています。もう一度顔を合わせて、ちゃんとお礼が言いたいです。
一日のスケジュール

取材・文/西山武志 撮影/刑部友康