おだ・ももか●1994年3月6日、山口県生まれ。小学4年生の時に、自宅近所の公園で開催されたスポーツクライミング(人口壁をホールドという突起物をつかんでよじ登っていく競技)のちびっこ大会に出場したのがきっかけで、地元のジュニアクラブに参加。クラブに入りスポーツとしてのクライミングを好きになり、より強くなりたい=世界一になりたい、と考えるように。2008年にワールドユース選手権(オーストラリア・シドニー大会)ユースB(16歳未満)で初優勝して以来、数々の国内外の大会で入賞を経験し、世界でも注目される存在に。12年にオーストラリアで開催されたIFSCクライミングワールドカップのリード(※1)部門では、日本人女子として初めて優勝。13年はワールドカップ最終戦で優勝し、リードとボルダー(※2)を合わせた総合部門で世界ランク総合3位に。現在は山口を拠点に活動し、13年は16戦ある世界戦のうちの15戦に出場するなど、世界中を転戦している。テレビ番組『アスリートの魂』(NHK)でも特集が組まれるほど、日本のクライミング界のホープの一人として注目を集めている。
※1リード:ロープをつけ、15メートルの人口壁を時間制限内に登る競技。登る人と地面でロープを確保する人の二人一組で行う
※2ボルダー:人口壁にあらかじめ取り付けられたホールドのうち、決められたもののみを選んで登っていく競技
壁の高さは5~7メートルくらいで低く、下にはマットをひいて行う
「登っている時は、余計なことは考えず、次の動作のことしか頭にない」と小田さん。「歓声で盛り上がる会場の中で、登りきった時の快感はほかの何物にも代え難いです」
世界大会で優勝したことで、「自分の可能性」に気づくことができた
私、実は運動神経がものすごく悪いんです。だけど、小さいころから木登りやアスレチックだけは得意で大好きでした。とにかく高いところに登りたくて、誰かに止められるまで、ひたすら上を目指して登り続けるんです。親や学校の先生たちをいつもハラハラさせる、おてんば娘でしたね。
スポーツクライミングという競技を知ったのは、小学2年生の時。ちょうど地元で「山口きらら博」(山口県吉敷郡阿知須町:現・山口市のきらら浜で、2001年に開催された地方博覧会)が開かれることになり、近くの公園に記念としてクライミング用の人口壁が造られたのです。親に頼んで毎週そこに連れて行ってもらっては、登って遊びました。そして、小学4年生の時にそこで開かれたちびっ子大会に参加したのがきっかけで、発足したばかりの地元のジュニアクラブに参加することになったんです。
高いところが好きだから、ほかの子みたいに怖がったりしません。両親からも「おてんばのあなたにぴったりの競技があってよかったね」と言われました(笑)。練習がとにかく楽しくて、「早く練習がしたい!」と、取りつかれたようにクライミングのことばかり考えていた私。しまいには、週一回の通常練習ではもの足りず、監督が教えてくれた国体選手の練習日にも参加するようになりました。
小さいころからずっと「クライミングで世界一になりたい」と考えていました。全然具体的ではないのですが、「とにかく大好きなクライミングを頑張って、もっと高いところまで登りたい。だから目指すのは世界一だ」という感覚。そして、その思いは、当時の世界チャンピオンだった平山ユージ選手にお会いしたことで具体的になりました。どういう大会に出て勝てば世界一、という具体的な手段をイメージし始めたことで、いっそう、目標を持って練習するようになりました。
ワールドカップに出られるのは16歳からだったので、まずは国内で実績を残そうというのが最初の目標でした。クライミングという競技は経験値も大切。とにかくいろいろなルートを触って、登り込んで、慣れていくことに重点を置いて練習しました。数を登って土台をしっかり作ったうえで、弱点を補うためにいろいろなトレーニングをするという練習スタイルはとても面白く、クライミングの魅力の一つだと感じています。だから、いくら才能がある人でも、練習しなかったら開花しません。逆に私みたいに才能がない人でも、繰り返し練習した人が最後には勝つんです。努力した分だけ結果が出ると信じ、毎日練習していました。
12年のワールドカップで優勝できたのは、それまでに積み重ねた努力の成果が、たまたまこの時に顔を出しただけだと思っています。勝因は、地道な努力を続けたこと。特別なことは何もしていません。しいて言えば、高校の時から始めた体幹トレーニングの成果が、2年たってようやく出始めたかな、ということくらいです。実際にその直前までは大会に出ても思うような結果がコンスタントに出ず、悩んでいたくらいでした。
念願の世界一になれたのはうれしかったです。ただ、一番うれしかったのは勝った瞬間だけで、すぐに称号には関心がなくなっちゃいました。家族もあっさりしていて、いつも通り「お帰り」と迎えてくれて。優勝できたことはとてもうれしいけれど、勝ったその日には、もう次の大会のことを考えていました。
優勝して感じたことは、「私は優勝できるだけの力を持っていたんだ」ということ。好きで、夢中で続けてきたクライミングで、世界一を奪い合う場所まで来られたという事実によって、自分自身の可能性に気づくことができました。
私は、運動神経は悪いし、特別体が柔らかいわけではないし、ジャンプも全然跳べないし、特別体力があるわけではありません。でも、トレーニングをずっと続けてきたことで、今では風邪もほとんど引かない体になったし、ランニングだって週に25キロメートル走れる体力がついたし、ジャンプも少しずつ跳べるようになっているし、縄跳びの二重跳びも19歳になって初めてできるようになりました。
ダメな自分だったからこそ、伸びしろが大きいというか、自分の頑張り次第でできることが増えていくんです。以前はトレーニングというものは苦しくてあまり好きではなかったのですが、今は自分を成長させるためのものだと思えるので、すごく好きになりました。自分には可能性があるから、もっと頑張ろうと、何事にも思えるようになったんです。
全力でクライミングをやりきりたい
将来については、まったくのノープランです。周りは「プロになるんだろう」と思っている人が多いかもしれませんが、自分ではそれは考えていません。
とりあえず、今は一番夢に近づける時期だから、それがあと3年なのか5年なのかはわかりませんが、やれるところまでクライミングで上を目指したいと思います。就職をすることでクライミングの力が落ちるような状況にはしたくないし、親からも、ありがたいことに「納得いくまでやっていい」と言ってもらえているので、できるところまでは突っ走りたいです。
だからこそ、クライミングをやりきった後は、ちゃんと社会の中で、社会の一員として働きたいと思っています。今は忙しいので、いろいろなことをパタパタとこなしちゃっていますが、本当は誰かに何かを教わったり、勉強したり、本を読んだりするのが好きだし、何に対してもいちいち感動したり感激する人なんです。今まではクライミングだけをやって、だからこそここまで極められたということはあるけれど、世間のことを知らないし、人間としては未熟です。だから、社会に出て、もっといろいろなことを身につけたいです。
きっと、クライミングとは関係のない仕事をするだろうと思います。クライマーの小田桃花ではなく、まだまだ未熟な小田桃花として働きたい。それがいつになるかはわかりませんが、そういう人生を選んでいきたいと思っています。
やっぱり私は、クライミングの「大会」が好きなんです。小さいころに大会に出て初めて体験した、お客さんの歓声の中で自分を盛り上げて必死に上まで登りきる感じや、集中した自分自身の気持ちを壁に思いっきりぶつけるのがすごく好き。だから、大会に出られなくなったら、趣味程度で続けるクライミングになるかもしれません。全力でやりきったら、そのあとは表舞台から消えてしまってもいいかなって(笑)。
もし私に、クライミングの世界において若い世代を引っ張っていく役目があるのだとしたら、それは選手である時に全力でやりきりたいと思います。世界の強豪たちを打ち破って1位になるのは自分でありたいと思うし、それができたら世界に対してもものすごい影響力があるはず。選手でいるうちは、当然、常にそこを目指します。でも、力が落ちて、大会に出られなくなった時は、過去の栄光にはすがることなく、その時に興味があることや、今までクライミングを優先させたことでできなかったことに、挑戦したいと思っています。
小田さんに10の質問
Q1.好きな異性のタイプは?
何事にも全力で、純粋に物事を楽しめる人。大好きなものを大好きだと言えて、それを楽しめる人はかっこいいと思います。
Q2.趣味は?
海外遠征の時に、写真を撮るのが好きです。ただ、撮った写真を見返すことはほとんどありません。撮るのが好きなんです(笑)。
Q3.好きな映画・ドラマは?
父が借りてきたDVDを家族で見ることが多いですね。最近だと、『メンタリスト』という海外のドラマが面白かったです。
Q4.好きな食べ物は?
あんこです。私は絶対に“粒あん”派! あと、海外から帰ってきたら「うなぎが食べたいな〜」と思うことが多いです。
Q5.好きな音楽は?
斉藤和義さんや、SEKAI NO OWARIというバンドの曲をよく聴きます。バンドで音楽をやることに、すごく憧れがありますね。ベースの音とか、ピアノの黒鍵の音とか、ちょっと陰のある音にひかれるんです。
Q6.尊敬している人は?
私にのびのびと人生を歩ませてくれる両親と、コーチの原文男さんです。特に原さんは、仕事をしながら私の国際大会にもついてきてくれたり、合宿に行くときも車を出してくれたりと、ずっと私をサポートしてくれています。原さんがいなかったら、今の私はないと思います。
Q7.行ってみて良かった国、もしくはもう一度行ってみたい国は?
心が洗われるようなきれいな場所ならどこでも。一つ挙げるなら、中東ヨルダンのペトラ遺跡(写真)かな。今は多い時は月に3回くらい海外に行くので、飛行機のマイレージサービスのポイントがたくさんたまりました(笑)。
Q8.100万円を自由に使えるとしたら?
お母さんと買い物に行った時に、好きな洋服やアクセサリーを買いたいです。残りは貯金します。
Q9.会ってみたい人は?
スケートの浅田真央選手! ソチ五輪を見て感動しました。「何を考えてトレーニングしているのか」「何を目指して滑り続けているのか」「原動力はどこからくるのか」など、聞きたいことがたくさんあるんです。あとは、イチロー選手のトレーニングの仕方もすごいので会って話してみたいですが、緊張しすぎて無理だろうな(笑)。
Q10.座右の銘は?
ひと言で表現できないんですが、夢や目標があるから頑張れるので、何か目標を持って、その目標について難しいとか、無理だとか、不可能だって絶対に思わないこと。あとは目標を口に出して人に伝えること。それだけはいつも考えています。
一日のスケジュール

取材・文/志村江 撮影/刑部友康